同僚が重い口を開いた。
数日前、連絡が途絶えていた兄が亡くなったが、
無縁仏として処理したのが心に引っかかっているという。
怒りが込み上げたかと思えば悲しくなる、複雑な心境だと彼は俯いた。
誰かの死を前にすると
私たちはよく「罪悪感」と「申し訳なさ」という言葉に囚われる。
それは時に悲しみよりも重い枷となる。
私は彼に言った。
そんな時必要なのは「意識的な対話」だと。
無理に感情を整理しようとしたり
罪悪感を和らげるために故人を悪い人だと決めつけたりしてはいけないと。
怒りであれ、悲しみであれ、申し訳さであれ、
その全ての感情は「正常」だ。
その関係の長い年月の中で積み重なった感情が
複雑に入り混じるのはあまりにも自然なことである。
その複雑さを抑えつけず、
感情が心の中でゆっくりと流れていく時間を与えること。
それが即ち浄化の過程なのだ。
兄との関係には、それなりの歴史と理由があり
その瞬間に下した選択は、
彼にとっての最善のものだった。
葬儀を執り行うことだけが
故人にできる唯一の「良いこと」ではない。
寧ろ長い年月の中で絡み合っていた感情を
一つずつ解きほぐし、静かに安らぎを祈るその時間、
それこそが別れの真の形式となる。
この世での縁はもう終わりを迎えたとしても、
私たちはみんな原子とエネルギーで成している存在だ。
よって繋がりは形を変えるだけで、決して断たれはしない。
関係の終わりは孤立ではない。
生きている者の平和は
旅立った人へ届く、最も温かな言葉になる。
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